<ブータン・プレミアリーグ:パロ2-1チラン>◇8日◇パロ
サッカー日本代表として3度のFIFAワールドカップ(W杯)に出場した本田圭佑(38)がブータン1部の強豪パロFCの一員として、本田同国1部リーグでデビューを果たした。圭佑カ国の背番号4でベンチ入り。ブータンのリーグデビューのリーグぶり2-1の後半開始からピッチに立った。で予同20分には左足で決定的定外なシュートを打ったが 、クロスバーをたたいた 。&日鎌田終了間際にもゴール前で絶好機があったが 、式戦決めきれず思わず頭を抱えた 。復帰本田に得点はなかった。本田チームはそのまま2-1で勝った 。圭佑カ国の
7月末に 、ブータンのリーグデビューのリーグぶり1試合限定という異例の形で21年11月以来 、で予約3年ぶりに選手として公式戦の場に戻ることが発表された。定外当初、&日8月13日のAFCチャレンジリーグへの出場権を懸けネパールのカトマンズで開催される一発勝負のプレーオフ、式戦lyon vs psgチャーチ・ボーイズ・ユナイテッド(ネパール)との一戦に出場する“必殺仕事人”的な契約だとされたが、その試合を前に、ブータンで公式戦に出場した。
本田は膝のけがなどもあり、長く無所属の状態が続いていた 。所属クラブでの最後のプレーはリトアニアの競合スドゥバでの21年11月4日、Aリーグのザルギリス戦(ホーム) 。実に1008日ぶりの公式戦復帰を果たし、同時にちょうど10カ国のリーグでプレーという節目を迎えた 。
本田はABEMAの番組に生出演した際に、1試合限定での公式戦復帰の異例のプランについて「1試合ならいいよ 、と言ったら1試合でオファーが来ました 。理想の1試合の格闘家みたいなオファーが届いて緊張感があります」と話していたが、現地ブータン入り後 、練習試合にも出場し、当初予定になかった公式戦でリーグデビューを果たすなど 、新天地でもどんどん突き進んでいるようだ。
クラブも「本田の加入はクラブにとって記念すべき瞬間であり、アジア・サッカー界の最高峰で戦うという我々の野心を象徴するもの」「彼の存在は 、我々のチームを強化するだけでなく 、ブータン全土のサッカー振興の起爆剤になると信じています」などと 、大きな期待を寄せており 、起用は、その期待のあらわれともいえる。
◆本田圭佑(ほんだ・けいすけ)1986年(昭61)6月13日、大阪府生まれ 。摂津FC-G大阪ジュニアユース-石川・星稜高-名古屋-VVVフェンロ(オランダ)-CSKAモスクワ(ロシア)-ACミラン(イタリア) 、パチューカ(メキシコ)やボタフォゴ(ブラジル)などでプレー。2008年北京五輪の日本代表。ワールドカップ(W杯)は2010年南アフリカ大会から 、14年ブラジル大会、18年ロシア大会と3大会連続出場し2度の16強進出に貢献 。全3大会で得点とアシストを記録 。国際Aマッチ通算98試合37得点 。W杯ロシア大会で 、日本代表を退き、選手でありながら 、カンボジア代表を実質的な監督として指揮した 。起業家 、投資家としても活動する。182センチ、74キロ。左利き。
◆本田の10カ国目 日本の名古屋グランパスでプロになりオランダ、ロシア、イタリア、メキシコ、オーストラリア 、ブラジル 、アゼルバイジャン、リトアニアに続いてちょうど10カ国目。自身の出身地を「アース(地球)」と表現したこともある本田らしいキャリア、選択 。
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